こんにちは、oliveです
先週の礼拝から少し日にちが過ぎての投稿ですが先々週金曜日はイエス様が十字架にかかられて苦しまれたことを覚えて「受苦日礼拝」が、そして先週日曜には死の中から甦られたことを喜ぶ「イースター礼拝」がホームチャペルでもたれました。
受苦日には、Ⅰコリント1章18節~25節から「十字架のことば」と題して、またイースターには「信じる人々に伴うしるし」と題してマルコ16章15節~18節からメッセージが語られました。「棕櫚の聖日礼拝」に続きその中から私が受け取ったことを分かち合いさせていただきます


イエスさまのエルサレム入場で、「ホザナ」と熱狂的に迎えた人々は、その後手のひらを返したように「十字架につけろ」と言って、遂に十字架にかけてしまいます。イエスさまが十字架にかかり血を流されたこのことの中に神様が行われたことは何だったのでしょうか?

へブル10:22には「キリストの血のそそぎかけによって邪悪な良心がきよめられた」とあります。
人間は神によって全く罪ない者として造られたのに、蛇(=悪魔)によって善悪を知りたい、善悪を自らが判断する“良心”を持ちたいと願って食べてはならない木の実を取って食べます。その時から私たちの良心は汚れ罪あるものとなります。

アダムとエバに始まった、神に背き自らを誇り欲を満たす罪とその結果である死。その死の力を持つ悪魔の前にイエスさまは「自らを卑しくし、死にまで従い実に十字架の死にまでも従われ」(ピリピ2:8)、人と同じ痛みを持ち十字架で苦しまれます。一見愚かで弱いように見えるこのことが高慢で狡猾な悪魔に打ち勝つ、私たちには考えも及ばない神のご計画であり、神の知恵と神の力です。キリストの血は信じる人々を木の実を食べる前の神さまとの正しい関係に戻して下さり、再び神さまの前に出ることができるようにしてくださったのです。

「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」 Ⅰコリント1:25

イエスさまは全能の神の力によって三日後によみがえられます。神が死に打ち勝ち、イエスさまが神の子であり私たちの救い主であることが目に見える形で表れたのですね。
主の十字架と復活を信じる私たちは今や罪赦され、永遠のいのちを与えられ主の平安の内に歩むことができますが、しかしエデンではなく全てが良いものばかりとはいえないこの地に住んでいます。
だから主は「目をさましていなさい」(Ⅰペテロ5:8)と言われます。そして神は私たちだけでなく全ての人が信じることを願っておられ、この世に光を与えるため私たちが働くことができるように力をお与えになっています。
マルコ16:17には、信じる人々には様々なしるしが伴うということが書かれています。キリストの十字架の力、よみがえりの力が教会に与えられ、信じる私たちは今この教会で起こっている素晴らしいことを通して全てのものの上に立つキリストを目に見えるかたちで表して行くことができます。教会の中だけでなく、キリストのからだである私たち一人ひとりがそれぞれの場所でも、家庭、職場、子育て、生活の全ての中で十字架の知恵と力を知り、あらわすことができるようにと祈りつつ一歩ずつ歩んで行きたいですね
主の栄光と平安と祝福が世に流れ出るように。
 
メッセージ感謝です

120408_191313イースター礼拝の後、子供たちの祝会もありました
今年も卵&お菓子探ししましたよ~
イースターエッグは「新しい命」の意味があります

長い文章になってしまいました